adamscampus's blog

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禅と瞑想と、スキルアップと実利

WIREDという雑誌に、シリコンバレーで「禅」が流行っているという記事がありました。

ここで言う禅は、いわゆる仏教の中の座禅というより、瞑想。

「自己探索」の手段としての「瞑想」を生活に取り入れることで、エンジニア集団に欠けがちな「心の知能(EI)」を伸ばしたり結果として生産性が上がったり、という効果を得るためのようです。

 

私も近くの寺で行われる座禅の会に何度か足を運んだことがあります。

特に仏教との接点はなかったものの、当初「自分を見つめ直す」「落ち着いて考える時間」のための機会と思って参加しました。

座禅とは、自分に向き合って考えるための時間だと思っていました。

ところが、実際にやってみると、何も考える余裕なんてないんですね。

というよりむしろ、いかに何も考えないようにするために身体を定点に収めるか、の戦いでした。

でないとあの長時間同じ姿勢が維持できません。

よく雑念を取り払うといいますが、私が少ない経験ながら理解したことは、

雑念を捨てる≠意識を集中する。

しなければいけないのは、とにかく、無心でした。

一番の感想としては、想像していたのと違って、すごくスピリチュアル。

確かに、心のさざ波の振幅が小さくなる、もしくはどうでも良くなる。…気がしました。まだ何度か、ですからね。。

 

その経験からして(関係ないこともありますが)、いくつか思ったこと。

①「禅」ではなくて「瞑想」して、EIという一つのスキルアップ的な機会にしてしまうのが面白い。記事でも指摘してますが、宗教からすると欲を捨てて悟りを開くはずですが、スキルアップの先には当然ビジネス的な成功という欲があるわけで。まあそこら辺を深く考えているわけではないんでしょうが。

②ここから少しAdams的な思考に。

「スキルアップ」(って宣伝してるか知りませんが)のような機会に貪欲な層が、東京のビジネスパーソンと違う気がします。こういうのが流行る土壌があるんですね。

東京の(少なくとも私の周りの)、専門的なスキルを持ったリテラシーの高いと覚しき集団は特に、こういった直接的なメリットの見えづらいスキルアップの場に参加するって、あまりポピュラーではない気がします。

③しかるに、EIという、資格でもないし明確にスキルと捉えづらい(少なくとも履歴書にのることはない)スキルを、いかに魅力的なものとして広めたのか。一種のクールなトレンドのようにステータス化していったとして、東京のビジネスパーソンは(繰り返しますが、特にハイリテラシーな専門集団は)、足を運ぶだろうか?朝活という言葉が浸透しましたが、結局この層まで浸透していないんじゃなかろうか?

④ビジネスの機会を紐解いていくと、専門的な知識・スキルだけでは仕事の幅や生産性は向上しない。

たとえば食やスポーツを楽しんで身体と心の状態を万全にしたり、人との相互的な(一方的ではない)関係の中でアウトプットの場を持ったり、という専門知識の周りを固める知識・スキルが必要になってきますよね。EIを上げるというのはそういった知識・スキルのうちの一つなわけです。

 

何が言いたいか、といえば、Adams Campusの講座はみんな、そういう類いの知識・スキルを学べる内容になるように、という思いを持ってやってますよ、ということでした。

いかに魅力的なものとして広めるのか!?